■最近、いなり寿司にはまってしまい、気になって稲荷寿司について調べてみました。
子供頃は生寿司の方が好きだったのですが、大人になって食べて見たら稲荷寿司にはまってしまいました。それ以来、いろんな稲荷寿司を食べています。油揚げの中の具とご飯の相性がとてもよくって美味しいです。そんないなり寿司について調べてみました。

いなりすじは感じで稲荷寿司と書きます。「お稲荷さん」「お稲荷」」「いなり」とも呼びますね。、甘辛く煮た油揚げの中に飯を詰めた寿司の一種で、。各地に特徴的な稲荷寿司があるようです。

■稲荷寿司ってなに?
甘辛く煮付けた油揚げがジュワーとお口に広がり、中から寿司飯(酢飯)に混ぜられたニンジンやシイタケなどの具材のコンビにネーションがたまりません。油揚げには他にも、いわゆる「ちらし寿司」を詰めたりもします。この油揚げの中には他のものを詰めてもとても油揚げとは相性がいいです。

関東では形を丸くするのですが、関西では三角に仕上げたりします。 お稲荷さんはなんと言ってもおにぎりと並んで行楽の弁当などにも良く登場しますね。 稲荷寿司と巻き寿司を組み合わせた折り詰めは助六寿司と呼ばれます。歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」の主人公、助六の愛人の名が揚巻であることから、 油揚げと巻き寿司の洒落から名付けられているんです。

■稲荷寿司の歴史
稲荷寿司は神にお供え物をする意味があり、その証拠に稲荷神社というのが各地に存在しています。稲荷神社は油揚げと関係する狐とも関係する部分があり、稲荷神の神途である狐の好物が油揚げであると言い伝えられています。稲荷寿司について江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』があります。

また、天保(1830年〜1844年)末年、江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。と書かれています。

『天言筆記』(明治成立)には飯や豆腐ガラ(オカラ)などを詰めてワサビ醤油で食べるとあり、今のお寿司のような食べ方がされていたそうです『近世商売尽狂歌合』(1852年)の挿絵には、今日ではみられない細長い稲荷ずしを、切り売りする屋台の様子が描かれています。江戸時代末期から庶民の食べ物としていなり寿司は生活に溶け込んでいたようです。

各地の稲荷寿司

関東は丸い形がいなり寿司、関西は三角形と形が違うようです。埼玉県熊谷市(旧・大里郡妻沼町)名物の稲荷寿司(聖天寿司)は通常の倍ほどの長径があり、これは江戸時代のいなり寿司の形を反映しているとされています。 江戸時代では稲荷寿司をワサビ醤油で食べたことが記されています。西日本では「揚寿司(あげずし)」、また近畿地方の年配者には「しのだ寿司」、「信太鮨」、「信田鮨」、「信田寿司」と呼ばれることもある。西日本ではごまなどの具材の入った稲荷寿司(五目稲荷ともいう)が多いとされる。その上から煮あげた干瓢などで縛ることもあります。。狐の耳に模して三角形に仕上げたものが主流とされている。中身を蕎麦とした「蕎麦稲荷」と言われるものも存在する。ハワイなどかつて多くの日本人が移民した土地でもポピュラーな食品となっており、英語ではその錐形の形状から「コーン・スシ(cone sushi)」と呼ばれていたりします。こうして記事を書いていてもお腹がへって稲荷寿司が食べたくなってしまいました(笑)

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